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移り変わる官衙遺跡

更新日:平成22年4月15日

移り変わる官衙

発掘調査で見つかった建物は同時期に全て建っていたわけでありません。本遺跡は100年近い存続期間の中で、大きく4つの時期に区分することができます。

遺構の変遷図1期

官衙創設期です。正倉域・政庁域・北方建物群域という配置計画の下に、役所の建設が始められました。正倉域では比較的大型の建物を中心に、列ごとに建築が進められていきました。政庁域では南面庇の正殿と西脇殿2棟という変則的な形で建物が構成されます。北方建物群域においては、大型竪穴建物が設置されるますが、本遺跡の建設を担った施設とも考えられます。なお、当初より西辺に八脚門が設置されますが、施設の正門であった可能性が高いものと思われます。

2期

官衙としての発展・充実期です。正倉域での倉庫建設が全域に及び、西側部分では北に正倉範囲が拡張した様子が窺えます。政庁域においては、正殿が四面庇状の建物になるとともに、東西の脇殿が完成し、「コ」の字状の建物は位置となります。北方建物群域では、側柱式掘立柱建物が中心となり、半面に庇をつけた建物があらわれます。

3期

官衙としての形態が大きく変容する時期です。政庁域及び北方建物群が消滅し、官衙の機能が正倉だけに縮小します。この正倉域においても、2 期には西側で北に伸びていた正倉範囲が縮小し、新たに作られた東西に走る溝によって区画された長方形になります。さらに中央には、周囲を溝で区画された大型瓦葺建物が建てられます。政庁の廃絶に伴い、西門もその機能を終えますが、これに変わり、正倉に取り付くように道路が敷設されたとも考えられます。

4期

正倉としての官衙衰退期です。正倉の規模・形態は3 期を踏襲していますが、中心建物が大型瓦葺建物から、長大な側柱式建物に変わります。なお、この時期は新たな建物が建築された様子がなく、正倉がどれだけ維持されていたかも不明です。

平成14年度までの調査では以上のような所見が得られましたが、平成18年度から実施している発掘調査において、新たな所見が得られたことから、この変遷については見直される可能性もあります。

 

 

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